デザインと「正解」

禅問答のようなそれ

グラフィックデザインの勉強を始めたばかりの、まだ右も左もわからない若い頃の話。

スクールで先生として教壇に立っていたデザイナーの男性が言っていたことで、印象的だった言葉があります。

 

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たとえば、地域のお弁当屋さんのお弁当を売るためのチラシを作るとして、

「デザイン素人のパートのおばちゃんが手書きで描いたチラシ」と、「デザイナーがパソコンでキレイに制作したチラシ」のどちらがチラシとして「正解」だと思う?と受講生全体に問いかけられたことがありました。

正解だと思うほうに手を挙げよ、との事。

 

これ、どちらが「正解」だと思います?

 

当時の私は「これは何と答えれば…?」と時間内に答えが出せなかったため、渋々後者に手を挙げたと記憶しています。前者に手を挙げればなんとなくデザイナーなんて要らないと自ら言ってしまうような気がしたからです。

 

そしてその先生曰く、お弁当が多く売れた方が「正解」との事。

つまり、どんな有名デザイナーがチラシを手掛けたとしても、おばちゃんの描いたチラシの方が売れたならそれが正解。

 

どうしてそちらのほうが良かったのかというと、「おばちゃんの描いたチラシの手書きの優しい雰囲気の方がいろいろな人に親しみを持ってもらいやすく、お弁当の作り手を身近に感じて家庭的でおいしそうなお弁当に感じるから売れた」…という答え。

 

パソコンで綺麗に制作するだけではダメで、手書きの優しさや親しみやすさなど「そのチラシを制作するうえで必要な様々な要素を読み取ってデザインせよ、デザイナーよがりになるな」「世の中の人々が何を考えているか・どう思うかを知らずに自分だけが得意になるようなデザインをするな」とのことなのだろうと思っています。

 

これは授業の初日の開口一番の出来事だったのだけれど、十年以上経った今も折に触れて思い出します。デザインを始めたばかりだと作るものが独りよがりになりがちになるところに最初に釘を刺したのでしょうね。

 

 

モノが売れたデザインのほうが正解。結果が出たほうが正解。

今思えば当たり前のことなのだけど正解にたどり着ける人がどれだけ居るかという話で、ずっと追いかけ続けていくしかないものだと思います。

 

この手の「デザインの正解」についてや、そもそも「正解の有る無し」に関しては界隈で散々議論されてきたことと思います。作る物や業種によって違うこともあるし、制作したデザインをどうしてそのようにしたのか説明できれば「正解」と言われたりもします。(これは本当にごもっとも)

 

デザインに「正解」ってあると思いますか?

 

 

セオリーとしての「正解」

私は正解がある派もない派もそれぞれの自論でかまわないと思っているのですが、「一般的なデザイン」としての正解はあるよね!と言っておきたいと思います。

 

「一般的」というと、誰もが想像しやすく思いつきやすいもの。

四季を表すデザインを作るとすれば、春は桜やピンク系、夏は海や青空の青系。秋は紅葉の赤や黄色、冬は雪や寒そうな色。クリスマスは赤と緑、ゴールド系など。その時代生きていて感じることから連想できる、普遍的な要素。

誰もが「あぁ、それそれ!そういうのだよね!」となるデザイン。そういうものには「正解」があるのではと考えています。

 

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世の中の人々が何を考えているか・人々がそれについてどう思うかに沿ってデザインをするのであれば、上記の四季イメージような誰もが思う「普遍的なことを感じる力」が身に付いていないといけないということになります。

 

この「普通を感じる」というのがじつは割と難しく、人は自分で見たり体験したりしたものでないとそれがどのように感じるか判らないのです。自分が扱うすべての案件の普通を感じることは不可能。なのでデザインをやる人は様々なことを体験せよ・経験せよ、なんて言われますよね。まぁそんな暇が普段あればいいのですが。

 

 

今までにないものとは

今までにないものを作ろうとしたとき、いきなり何もない状態で斬新なアウトプットすることはできないと言われています。たとえば「スマホ」は固定電話や携帯電話に沿ったものだし、「インターネット」も電報やファックスの延長上にあるように、

 

「今まであったA」+「今まであったB」=C(今までにないもの)

 

という流れでCのスマホやネットが生まれています。Cは今まであったものの掛け合わせです。つまりAもBも知らない状態でCは生み出せない、という事。

 

「普通にあるもの」と「普通にあるもの」を組み合わせて新しいものが作り出せるとするなら、普通を知ること・セオリーを知ることがとても大事なことかがわかります。

 

いきなり空から今までなかったような新しいデザインアイデアが降ってくることはないし、上記を無視して作り手が自分の趣味や好みで作ってしまうとそれはもう前述した先生の言葉通り「ただのデザイナーよがり」になってしまいます。

おばちゃんのチラシの話のように、必要な要素を組み取ってデザインをする場合、「普通を知る」「普遍を知る」ことは基礎になることで、おろそかにしてはいけないと感じます。

 

 

私も頭の中をなるべくフラットにして普通を感じていたいのですがそれがまた難しいところで、デザインをする度に「私の普通は外していないだろうか…」と脳内をグルグルさせています。

もっと良いデザインができるよう、色々な体験を積んでいきたいなぁ。

 

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